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秋のグリーン団地入り口。

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ここはうちの近所で、何回か撮ってアップしているので、ご存知の方もいるかと思う。
最初にアップしたのが、やはり彼岸花の頃だったので、もう1年めぐってきたことになる。

毎日、目にするような事物に目を向ける。
私が言いたいのはそういうことです。
by tin_box | 2006-10-04 22:13 | 田舎のハコ | Comments(8)
Commented by まつもと at 2006-10-05 09:12 x
>毎日、目にするような事物に目を向ける。

 なぜ? なぜそれを撮るのか? と、いうことに興味があります。tittiさんの「理由」は何ですか。
Commented by tin_box at 2006-10-05 17:31
まつもとさんに突っ込まれると思うと、うっかりしたこと書けませんw。

写真を撮る動機は、私の場合、「日常への冒険」あるいは「日常の再発見」みたいな、何かのコピーか、題名でありましたね。
身近なことが実は全然わかっていない。外へばっかり目を向けている。
それでは、どこへ出かけていったって、きっと何もみつけられないのではないか。
私のブログのミニ紹介欄?にも書いているように「日常のすみっこショット」がテーマのひとつになっています。
誰も通り過ぎてしまうような事物に立ち止まって何かを見つけること。
何も遠くまで撮りに出かけなくても、写真の楽しみは身近にあるよと。

下に続く・・・
Commented by tin_box at 2006-10-05 17:31
なぜ撮るのかをもう少し考えてみると、いろんな要素があると思います。
・自分なりの発見を記録する(ログ)
・自分の見た感じたイメージと機械的な仕上がりの一致の確認、すり合わせ(消化)
・カメラを操る喜び(リアルなシュート感覚)
・露出や撮影セッティングの手間を楽しむ(撮影ロボットの育成)
・後でフィルム駒から自分の目で選択する(第三者的再発見の訓練)
・引き伸ばし展示する(固定化、反芻、ディテール)
・同じものを繰り返し撮ってみる

先日、ブログ掲載1ヶ月分をPDFにして(exciteのサービスにあります)、製本してみました。
画面とは違い、手にとれる写真集はまた違った楽しみがあります。
時間的な流れも良くわかり、いわゆるポートフォリオというものが実感できるように思えました。
Commented by まつもと at 2006-10-05 18:39 x
 tittiさん、

 あはは、やはり自分、突っ込みキャラなんでしょうか:) 実は、普段からよくそう言われます。

 写真の一つの側面として、見たものをそのまま定着して、その事物を共有できるというものがありますよね。かつての辺境写真とか、観光写真、写真絵葉書って、その側面の一つの現れで、珍しいものを見たい、まだ見たことのないところを見てみたい、そういう眼の欲望に応えるものだったのだと思います。

 あるいは、写真の記録性という側面は、時を一葉の紙の上で化石にしてしまう。この時代を克明に記録して保存しておきたいという、もしかしたら学術的欲望に応えるものでもあった、と。
Commented by まつもと at 2006-10-05 18:40 x
上は例ですけれど、これだけでなく、いろいろな動機によって、いろいろな写真が撮影されてきました。被写体も撮影方法もそれこそ無限にある中で、自分は、人が何を被写体として選び、それをどう撮影し、どう人に見せるのか、ということに興味があります。

 被写体を選ぶこと、撮影方法を選ぶこと、見せ方を選ぶこと、この三つの選択が、写真表現というものなのだと思いますが、自分も、ブログを始めたり、写真展の計画をしたりすることで、ずいぶん考えさせられている感じです。写真集という実体として掌にある「写真」というものも、モニタ上に集積するピクセルからなる写真とはまた違った意味を持っていそうですね。
Commented by tin_box at 2006-10-05 22:05
まつもとさん、私の場合は、表面的な写真を観たいのではなくて、撮影者、それにまつわるすべてを見たいのかもしれません。

だから、そういった背景を感じない写真はうそっぽいなと思ってしまうのです。
その人の撮った写真じゃないなと。
Commented at 2006-10-05 23:31 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tin_box at 2006-10-06 21:48
鍵コメさん、そうですね。以前にも書きましたがバランスだと。
まあそれも文化の継承してくれているのだとw。
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