私の撮る写真てのは、説明的なんですね。
説明的ってのは、そのものを見せすぎというか、切り取らないというか、見手を信じてないというか。
よく言えば、親切で説明十分。よくわかる画。
悪く言えば、面白みがない。謎もない。考えない画。
あんまりどこへ行って、何してきたんだか、なに撮って来たんだかわからないのも疲れますが。
そういった謎ばっかり捕ろうとしてた時期もありますが(もうこのブログも10年なんで、自分でも過去記事を見ると結構面白く見れたりしますw)。
結局、最近はなにしたいかなんですが、
良くある他人の視線、良くあるよね的な画じゃなくて、自分の視線とか、その場で思ってたことが感じられる画が撮れないものかなと。
そこなんですね。今頃言うなってw。
いや、前から試行錯誤はしてますが、何かというと、ギミックに引っかかっちゃうですよ。
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iPhone、スマホのカメラアプリには、刺激受けますね。
SNSに直結してたりするし。
FYUSEもよく使います。ブログに持ってこれないのが残念ですが。
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デジカメ、
このままだとカメラメーカーの未来はないでしょうね。
フィルム時代の繁栄のトレースも終わりのようですし、何のイノベーションの兆しもないみたいだし。
話しずれました。