写真がデジタル化して久しい、と言って良いかどうか、判断しかねる。
いまだにフィルム愛好家は居るし、地元でもリバーサルフィルムに拘った写真展も時折開催されている。
自分も時々思い出したように、フィルムカメラを持ち出して撮り回ったりしている。
そんなことを思いつつ...。
地元の映画館街が(すべてでは無いが)が移設する事になった。
先日ちょっと記事にした七軒町映画街、プラネタリウム跡辺りが無くなる様だ。
先週のことだったが、其のプラネタリウム跡地(ドーム)で写真展が開催されたと報じられた。
迂闊にもそのことを事前に知らず、観る事ができなく残念だった。
もっとも、その数日は自治会の行事が忙しく、知っていても行けなかったかもだが。
仕方ないので地元のブロガーさんの撮った記事を観てみた。
静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡
静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡(2)
懐かしい記憶が蘇った。
まあ、形あるものはいつか滅びるのだから仕方ない。
そんなものたちを、私も稚拙ながらも自分なりに写真を撮り記録している。
その事に何らかの意味を感じているものからすると、今のモノの記録ということは悩ましい。
フィルムとデジタル。
多くの写真を愛好する人たちが、今時(たぶん)ずっと頭の隅に引っ掛かっている事。
デジタル、電子データでほんとに良いのか?ってこと。
もちろん、それはフィルム不滅ってことを言いたいんじゃない。
電子データ自体は実体に左右されないので、ある意味不滅なのだが、メディア、媒体は時代によって変わっていく。
その辺りが不安なのだ。
データはその媒体を乗り継いでいかねばならない。
それが途切れると、二度と再現されることがなくなってしまう。
今時の若者は自分のケータイに思い出の写真やメールを溜め込んでいる。
それって非常に危うい。
「これが無かったら、死んでしまう」などと言うくせに、何の対策も取っていない。
だからね、データって、モノじゃないから。
その点、フィルムって安心感がある。
保存とかに注意が必要であっても、完全じゃなくても、そこにあるから。
それも幻想なのかも知れないが、そんなこといったら、石に彫るしかなくなるか?