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駄菓子屋にて その1

子供の頃、行きつけの駄菓子屋の一つや二つあっただろう。
私も2、3あったのだが、今となってはその場所の記憶は霧の彼方、あやふやで、どうにもすっきりしない。

大人になってから、静岡の駄菓子屋が他の地方と少々異なる事を知った。
静岡の駄菓子屋では、必ず「おでん」がある。これをおやつ代わりによく食べたものだ。

銅の四角い鍋(といっていいのか)に具材ごとに仕切りがあり、真っ黒いつゆ。
ほとんどは串に刺してある。
たまごとか、ジャガイモはすぐに抜けてしまい、真っ黒いつゆの中に行方不明となる。
それを串で探し当てて、すくい上げる。
静岡のおでんの特徴は、なんと言っても「黒はんべ」と「だし粉ふりかけ」だろう。
黒はんべは鰯、鯖を丸ごとすり身にして半月型に整形して蒸したもので、静岡、焼津特産品だ。
味は、いわしのつくねの少し濃い味を想像してくれれば、まあそんな感じ。
この黒はんべは便利な食材で、生、焼き、天ぷら(しょうゆで)、フライ(ソースで)、おでんにと、不思議とどう料理してもおいしい。

だし粉のふりかけは、いわしの乾燥した粉と、あお海苔の砕いたものが混ぜてあるもの。
皿に好きな具材を取ったら、皿の端っこにからしをべちょっと付けて、だし粉は具材全体にどさっと振りかける。
味噌もある。味噌壷はなべの真中にあったように記憶している。

あと思い出すのは、ピンク色のふ菓子、銀玉鉄砲と2B。
その話はまた後日。
by tin_box | 2009-11-04 22:24 | 雑記 | Comments(0)

ペントハウス・リコール

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by tin_box | 2009-10-17 22:58 | ブリキの街 | Comments(0)

その1

私がまだ幼稚園に上がる前、私と両親は田舎の肉屋の2階から、町の真ん中にある親戚の大おばの経営する事務所ビルに引っ越した。
ビルの住み込み管理人として大おばが雇ってくれたのだ。
雇ってくれたとはいっても、給料はもらった覚えがないと、母は話していたが、住居付なのだから、そりゃそうだろう。ずうずうしいw。
用事と言えば、階段の掃除と、あともうひとつあったのだが、またそれはあとで話そう。

そこは、4階建てビル屋上の一角にある小さな部屋だった。
冷たいリノリューム床の部屋と、仕切りのない、どうにか3人寝れた畳部屋があった。
今思えば狭いとはいえ、なかなか得がたい条件の住みかで、昔放送された「傷だらけの天使」でショーケンが住んでいたようなところだったのだが、少々不便でもあった。
エレベーターはなく、屋上まで毎日何回も階段を登り降りしなければならず、トイレも下階にしかなく、夜行くのは眠いし、なにより子供には暗くて怖いし苦痛だった。
風呂も銭湯だったが、その時代は割と普通だった。
風呂屋でたまに買ってくれるマミーが美味しかったのを覚えている。

窓からは市街地がよく眺められた。
その時代にはさほど高い建物も少なく、ほとんど同じ高さで消防署のレンガ造り(内部は鉄筋だろうが)の監視塔が見えた。時々、監視塔の外回廊を消防署職員が歩いていた。
今はもう、消防署の監視塔などはどこへ行ってもないだろう。
と思ってたら、ちょっと探したら、超近いものがあった。下記参照
http://soubouwalk.exblog.jp/8179008/
http://volunpo.net/modules/d3blog/details.php?bid=42

夜になると、街の灯りがボワッとあがってきてきれいだったが、一番記憶に残っているのが、宝石店の屋上で回っていたサーチライトだった。
このサーチライトは確か2基あって、斜め上を向いてゆっくりと回転させていた。
そう20世紀FOXのタイトルロールのあんな感じのもっと地味目で。
ライトが向こう側を向いているときは、ゆっくりと光線が移動していき、こちら側に回転し近づいてくるにつれ速くなり急激に明るく、真正面に来たときはワッと一瞬光り、またゆっくりと遠ざかっていく。
霧や雨の日にはとても幻想的だった。

そこには小学校5年になる前まで住んでいた。


続く。
by tin_box | 2009-10-08 22:39 | 雑記 | Comments(2)