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メイの肖像。

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by tin_box | 2010-08-30 22:56 | にゃんの居る場所。 | Comments(0)

四十九日。

今日、母の四十九日法要を無事執り行った。

法事の後会食の席では、おじおばたちに昔の写真を見せて、いろんな昔話をして母や親戚兄弟の思い出話を聞くことができた。

これで私もようやく一区切りついた気持ちで、これからは新しい生活に向かっていこうと思う。


肉親の生き死にというものは、誰にも避けられないもの。
それにどう向かい合うか、生死のとらえ方、宗教感が問われる。

祈り
現代には希薄なものなのかもしれない。
しかし、私は重要なものだと思っている。

自分がなぜここに今生きているのか、考えをめぐらせれば、それは奇跡的なことなのだと気づくはずだ。
by tin_box | 2010-08-29 23:14 | ブリキ的生活 | Comments(0)

夏の終わりに。

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by tin_box | 2010-08-28 22:49 | 花木、虫類学者 | Comments(0)

伝馬町にて。

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by tin_box | 2010-08-27 22:41 | ブリキの街 | Comments(5)

古商店。

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静岡市伝馬町にあるある古い木造建築にある商店。
Amp Studio
by tin_box | 2010-08-25 22:49 | ブリキの街 | Comments(1)

夏の満ち欠け。

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by tin_box | 2010-08-24 22:30 | 花木、虫類学者 | Comments(2)

静岡をバカにすんじゃない!

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どこ関西かしんないけど。
静岡のおでん屋にも味噌壷があったりしてそのくらいのことわかってると思われ。
by tin_box | 2010-08-23 22:26 | ブリキの街 | Comments(4)

暑過ぎた夏。

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by tin_box | 2010-08-22 13:03 | 花木、虫類学者 | Comments(0)

トタンとモルタル。

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暑い日。
by tin_box | 2010-08-21 22:27 | ブリキの街 | Comments(0)

ふつうのこと。

ある人から言われた。

いろいろ大変だったろう。
これからは自分の人生だ。
やりたいことをやればいい。

・・・

母が入退院を繰り返して、徐々に体が大変になって、ついには介護が必要になって、いままで何年経っただろう。
5,6年だろうか。
最初の頃は、おばの事もあったので、手術とかなんとかとなると大変になるかなと、ぼんやり考えていた。
それは、手術こそ無かったが、少しずつ現実になり、生活は変化していった。


母は実にスーパーな人だった。私がいい年になるまで、私は自分のこと以外はまるで無頓着でいられた。
たまに家事などを手伝おうとすると、逆に露骨に嫌な顔をされたものだ。

父はというと、私と同じように母に頼っていた部分が多く、自分自身は実にシンプルに生きた人だった。
江戸っ子ではないが、宵越しの銭は持たぬ的な、借金こそ無かったが自分の預金通帳も持たないような人だった。
釣りばっかりやっていた。

父は最期まで病院嫌いで、手遅れになるまで我慢してしまい、母に怒られてようやく病院へ行った。
入院してからは、母はぶつぶつ文句を言いながらも一所懸命看病に当たっていた。
私はあまり出番が無かった。それはちょっと後悔している。

・・・

母は徐々にスーパーでなくなり、言ってることと、できることが食い違っていった。
歯がゆかったのだろうが、そんな事はおくびにも出さずにいた。
その矛盾に直面していた私は非常に混乱していたように思う。
母もそのことを受け入れていくのに時間が掛かったのだろう。

いよいよ私だけではどうにもならなくなり、介護申請を出す時、母も覚悟を決めたのだと思う。

母は常日頃から他人に頼ることを嫌っていた。
大人であれば、それは当然ではあるが、母の場合はそれを極端に恐れていたといってもいい。
それは「いずれ返さねばならぬ借金」であると、明確に言っていた。

しかし、そんなポリシーも捨てることになった。
でもいいじゃん、社会保障システムなんだから。年金と同じだよ。

ともかく。

介護生活になってからは、ヘルパーさんと仲良くやっていたようだった。
私のほうも、毎日忙しいことには変わりは無かったが、精神的にはずいぶんと楽になった。

母が元気な頃はまったくやらなかった家事全般をいろいろと工夫しつつやるようになった。
料理も本やネットを見ながらすこしずつバリエーションを増やしていった。
母に食べてもらうのが楽しみにもなった。
母も昔の人なので、食わず嫌いなものや、苦手な料理法もあった。
私は何でもやってみたい、食べてみたいたちだったので、外食ができない分、母の料理では絶対出てこなかったような食材も使って食べさしたりした。

母の容態は安定していて、日々の生活も順調に回っていた。

・・・

親は先にいくのはふつうの事。
人生において大きな出来事ではあるけれど、ふつうのことなのだ。
不幸でもなんでもない。
誰でもいずれ直面するのだから。


こんな話があったね。
うろ覚えだけど。

お釈迦様の下へ、ある女性が訪ねてきた。
 私の家族が死んでしまいました。
 悲しくてもう生きていく気力がありません。

お釈迦様は言った。
 では、この村の中で、一度も家族が亡くならなかった人を探してきなさい。
 そうすれば、あなたの悲しみを取り除いてあげましょう。

女性は村中をくまなく探して歩いた。
しかし家族が亡くならなかった人などなかった。
女性はやっと気がつき帰っていった。

・・・

最初に戻って。

皆きっと、少しばかり勘違いしてる。
勝手気ままに自由にやるのも人生だし、そうもいかずに日々を送るのもまた人生の一部。
どっちがいいとかじゃない。

 母も私も少々不自由な日々ではあったけれど、一緒に過ごした数年間は、幸せだったと思う。
 母がそう思ってくれたとしたら、それ以上のことは私にはなにもない。

○:○:○: 猫足 いや蛇足。 

猫は、自分の居る環境の中で、快適に過ごす術を知っている。
だから、犬の様にみっともなく不満げに鳴き吼えたりしない。
お腹がすいた時だけ、ちょっとだけ人間に甘えたりする。


いずれにしても、リセットがかかったようなものなので、少し考えてみる時期なのだろう。
by tin_box | 2010-08-21 22:04 | ブリキ的生活 | Comments(2)