カテゴリ:撮らない写真( 30 )

デジタルとフィルム 雑感。

写真がデジタル化して久しい、と言って良いかどうか、判断しかねる。
いまだにフィルム愛好家は居るし、地元でもリバーサルフィルムに拘った写真展も時折開催されている。
自分も時々思い出したように、フィルムカメラを持ち出して撮り回ったりしている。
そんなことを思いつつ...。

地元の映画館街が(すべてでは無いが)が移設する事になった。
先日ちょっと記事にした七軒町映画街、プラネタリウム跡辺りが無くなる様だ。

先週のことだったが、其のプラネタリウム跡地(ドーム)で写真展が開催されたと報じられた。
迂闊にもそのことを事前に知らず、観る事ができなく残念だった。
もっとも、その数日は自治会の行事が忙しく、知っていても行けなかったかもだが。

仕方ないので地元のブロガーさんの撮った記事を観てみた。
静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡
静岡ピカデリー屋上のプラネタリウム跡(2)
懐かしい記憶が蘇った。

まあ、形あるものはいつか滅びるのだから仕方ない。
そんなものたちを、私も稚拙ながらも自分なりに写真を撮り記録している。
その事に何らかの意味を感じているものからすると、今のモノの記録ということは悩ましい。
フィルムとデジタル。
多くの写真を愛好する人たちが、今時(たぶん)ずっと頭の隅に引っ掛かっている事。
デジタル、電子データでほんとに良いのか?ってこと。
もちろん、それはフィルム不滅ってことを言いたいんじゃない。

電子データ自体は実体に左右されないので、ある意味不滅なのだが、メディア、媒体は時代によって変わっていく。
その辺りが不安なのだ。
データはその媒体を乗り継いでいかねばならない。
それが途切れると、二度と再現されることがなくなってしまう。

今時の若者は自分のケータイに思い出の写真やメールを溜め込んでいる。
それって非常に危うい。
「これが無かったら、死んでしまう」などと言うくせに、何の対策も取っていない。
だからね、データって、モノじゃないから。

その点、フィルムって安心感がある。
保存とかに注意が必要であっても、完全じゃなくても、そこにあるから。
それも幻想なのかも知れないが、そんなこといったら、石に彫るしかなくなるか?
by tin_box | 2011-10-01 23:03 | 撮らない写真 | Comments(4)

レンズなんてラララーラララ-。

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最近はカメラ雑誌もトンと買わないのですが、本屋をうろうろしているとね、つい特集に引かれて買ってみることもあるわけで。

ま、立ち読みの時も、わかっていたことを再確認というか。
いや、私はもちろん、そんなことはそうだと思ってましたから、妙な神格化とかはしてません。
もやっとするのは、体験的にわかってましたし。
お遊びの範疇を出ない域で。

でも現行レンズがそんなんじゃ、ちょっと問題ですわなぁ。
by tin_box | 2009-08-22 23:32 | 撮らない写真 | Comments(0)

写美 中山岩太(なかやま いわた) 「甦る中山岩太(モダニズムの光と影)」

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私、前衛というのは、時代を経ればいつかコナレテきて、フツーになってしまうものかと思ってましたが、そうばかりでもないようです。
モダンというのは、どこにあるんでしょうね。

ともかく、どれを観ても不思議な画ばかりでした。
デカダンスあり、コマーシャルフォトの先駆けでしょうか、デザイン的な画もあり。

実験と、前衛は違うんですね。
あ、最初から、モダニズムという題から脱線しているみたいです。

更に脱線していきますが、'60、'70年代ロックなどを今聴いてみると、明らかに、今でも輝いている曲、アルバムと、何じゃこりゃと、まったく色褪せてしまっている作品が明確に解るんですね。もちろん私の主観に過ぎませんが、同意していただける方も多いかと思います。
その頃、某有名評論家が何と言ったか、意外とよく覚えていたりして、面白いものです。
いろいろ余分な情報とか、思い込みとか、流されていって、最後にコアなもの、そのモノだけ、裸にさらされているんです。
プログレッシブと言われたジャンルも、その時代から見ていた時には、音楽はどこまでいくのだろうと、わくわくしたものですが。
どうなんでしょうねぇ。いまだに自分たちの壁を越えていないような気もしますが。

話を少し戻します。
モノクロプリントが実に艶かしいんですね。
デジタルであそこまで、みっちりとした量感が出せるのでしょうか。
闇の中から、ほんの少しだけの光を求める。
ちょっとだけ出たと思ったら、すぐに奥深くの暗闇に消え入ってしまう。
そんな感じでした。
by tin_box | 2009-01-15 22:21 | 撮らない写真 | Comments(0)

写美 ランドスケープ 柴田敏雄展

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実に不思議な作品群だった。
各画には題名もない。
撮影場所のみパンフレットに記載されていた。

地元の山間部へちょこっと行けば、このような場所は無数に存在する。
実際、地元のものの作品も複数あった。
しかし、私はいつもそういったポイントを横目で見ては通り過ぎるだけだった。
他人と違う視点や発見をと、常々心がけてはいるものの、その網には掛からずw。


例えばどれか1点だけを観たとしても、きっと氏の作品は理解できないだろう。
たくさんの展示作品を観てみて、少しは感じることができるかもしれない。

私が感じたのは、ほとんどの撮影者が意識するであろう視点ではなく、テクスチャ、質感、手触り感じゃないかと思う。
光影を避け、陰影のみによって、遠近感を無くす。
それが何であるかとか、特徴的なカタチをあえて見えなくする。
その辺が受け入れられなければ、理解できないのではないか。

こういったアプローチは時々あるのかもしれないが、これほどたくさん一度に観たのは初めてだった。

と思ったら、この方は東京芸大の油絵出身なのね。

解説の中の一節に印象的だった箇所。

カラーは現実から逃れられない。
モノクロしか撮っていなかった頃は、モノクロで画にならないものは避けていた。
しかし、カラーも撮るようになると、そういったものも撮れるということ・・・

http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib/2008/12/17/9851.html

ベルギー・ワッ・・・。
あ、いやなんでもないです。
by tin_box | 2009-01-14 23:00 | 撮らない写真 | Comments(4)

内なる愛 エリオット・アーウィット展。

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ここ数年、連続開催されている、静岡グランシップでの写真展。
今年で5回目。
この展示は京都の何必館・京都現代美術館の主催によるもの。
静岡という、地方にあって、たいへん貴重で重要な展示である。

第一回から欠かさず観ることができていることがなによりうれしい。

今日は、東京の写美から、館長だったか、どなたかだったか忘れてしまったが(申し訳ないです)、解説を聞く事ができ、なお更ラッキーだった。
代表的な作品は知らなかったが、自然体な作風は大いに参考になった。
自分の目指す作風なのかもしれないと思った。
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by tin_box | 2008-12-20 23:06 | 撮らない写真 | Comments(0)

私的写考。

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Photo is MyLife

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by tin_box | 2008-04-21 22:55 | 撮らない写真 | Comments(6)

木村伊兵衛展に行ってきた。

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地元、グランシップで恒例となった展示「何必館・京都現代美術館所蔵 世界写真家シリーズ」も今年で4回目。
ブレッソン、ドアノー、ロニスに続いて、木村伊兵衛氏。
ふふ~ん、東京でもこのシリーズはなかなかだと。
今日始まったばかりだが、来年が早くも楽しみ。

まあ、この大先生については、昔がきのくせに生意気にもカメラ雑誌などを見ていた頃、よく耳目にしていたけど、ガキに理解できるわけもなく...。

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by tin_box | 2007-10-06 16:23 | 撮らない写真 | Comments(2)

射ること。

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わずか120ページ程の本だったが、前半を読むのにえらく時間がかかった。
ドイツ人哲学者ヘルゲル氏が日本の大学へ招聘され、数年間を過ごし、阿波研造師範から弓道を学ぶ。
・弓道においては、的に当たる事はさして重要ではない。
・弓を引き絞るには、力を入れてはいけない。
・矢を放つを意識してはいけない。
という具合に、およそ論理的には理解できない修練を積むことになる。
戸惑い悩みながらも、しだいに言葉としての理解を超え、恩師との交流を深めていく...。

理屈ではなく、自分自身が経験しなければ、わからないもの。
説明できないもの。
ここでヘルゲル氏が言う「禅」というものがそれにあたるのか、なんとなく違うような気もするが。
by tin_box | 2007-04-19 21:56 | 撮らない写真 | Comments(0)

Photo is (パクリ?w)

記念写真でもなく、ゲージツ写真でもなく、コンテスト目的でもなく、ただその目的のほとんどは自分で見たいから、撮ってみたかったからというもの。
昔、そういった写真は、普通では思いもよらなかった。
たとえ、気まぐれ、よくわからない衝動に駆られてシャッターを切ったとしても、そのサービスサイズで焼かれたプリントの居場所はなかった。

仲間といったスキー。たくさんの記念写真のプリントファイルの中に、ほんの数枚だけ紛れ込んだ奇妙なショット。
それを見つけて、これまた奇妙な顔をする友人たち。
「あ、いやフィルム余ったからね(途中じゃねーかよ)」と言い訳するものの、気恥ずかしい思いがよぎる。

記念写真しか撮らない時期が長く続いた。

・・・

プロのお遊びならば、それはそれで認められ(認められるって何?どういうこと?)、人の目に触れることもある。
でもそうではない人、シロートの人々のそれは、自分で撮った写真が自分自身で何なのか分からないまま、ずっと答は保留されたままだった。

あげく、自分には写真センスなんかはなく、ただのカメラ好きなんじゃないかと思い込んでしまった人を生んだのか。

・・・

時代は変わる。
ITが意外な変化をもたらした。

そんな写真の居場所がブログになった。
いや、その前に画像掲示板があった。
あ、もっと前には、個人ホームページ、その次にデジタルカメラも重要な役割を果たした。

それらについては、また改めて。
by tin_box | 2007-03-28 22:33 | 撮らない写真 | Comments(7)

ウィリー・ロニス展。

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地元グランシップで今日から開催されているウィリー・ロニス展を観て来た。
偶然、主催者側講師による作品説明の時間帯に当たり、興味深い話を聞けた。
ウィリー・ロニスは近代フランスにおいて、ブレッソン、ドアノーと並ぶ三大巨匠といわれているそうだが、日本ではほとんど知られていないそうだ。私も初めて知った。
ウィリー・ロニス氏は今年96歳でお元気だそうだ。
ブレッソンのように強すぎず、ドアノーのようにドラマはない。
しかし、パリが、普通の人々がいた。
そう、これは氏の視点そのもの。
一緒に展示してあった氏の言葉で興味を引くものがあった。

-引用-

カメラは道具、道具は考えない。
この道具の背後には私の眼があり、頭脳がある。
シャッターを押す時、この頭脳が選択する。
写真家の行為は心の中のことである。
客観性はない。

-引用終-

当たり前のことであるが、今時なんだかあちこちで理屈のための理屈や、目的の取り違え、勘違いが多いような気がする。
目的のない道具なんて要らないよ。

百の理屈よりも1枚のプリント。
実践しようよ。
by tin_box | 2006-11-18 18:09 | 撮らない写真 | Comments(6)