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日本人考。

凶悪犯罪者の裁判弁護で、被告人の生まれ育ち、劣悪な生活環境だとか、犯行時には心神喪失?状態にあったとか、所謂、普通ではなかったのだと弁護されることがあるようです。
被告人の人権に関しては、常に議論が盛んに思えますが、被害者の方はどうなんでしょうか。
「極刑にしてください」などというと、個人的な感情だとか、うらみだとか言われてしまうのでしょうか。
被告人が本当に反省し、更生して社会復帰できるのか、それともただ口先だけであって、刑務所を出たらまた犯罪を繰り返すのか、誰も判らないでしょう。
被告人が更生可能ならば、刑が軽くなると言うのも、なんだか今ひとつ腑に落ちません。
被害者は、彼は反省して更生するんだから、納得しろというのでしょうか。

被告人の弁護士のなかには、弁護士個人の主張、イデオロギーをない混ぜにさせれているようなケース(死刑廃止論とか)もあるようで、なおさら納得できないでしょう。

本当に罰しなければならない(のか?)のは、なんでしょうね。
遡って、被告人の子供時代に、虐待を繰り返した親でしょうか?

ところで、昔観た「12人の怒れる男」は面白かったですね。
日本映画では「12人の優しい日本人」ってのが面白いようです。まだ観てませんが(Amazonでは廃盤の為かプレミアが付いてるし)。

話はスライドしますが。
友愛といった時、思い出すのは、昔懐かしいTVアニメ(主には男子向けの戦闘もの系)の最終回近くのストーリー。
今まで極悪だと思っていた正義の味方の敵が、実は拠所ない事情があったとかで、思わず正義の味方も最後の止めを刺す手を緩めてしまうと言う...。
それで、お互いを理解しあって、これからは仲良くやっていこうと...END。
なかには、そこで悪役の目が光り反逆に出て、もう一波乱あったりするのですがw。
ま、日本国内では、そんなんでもいいんですが。

話はまたスライドします。
国が違えば、ベースとなる考え方や行動、常識が違うわけで、日本人はとかくその辺りが解らないんじゃないかと。
外交では、日本はニコニコ外交で、こちら譲歩しますって、相手の出方を待っていると、ずいっと踏み込まれて、更に譲歩せざる得なくなる。
相手国は譲歩なんかしてくれない。弱いと思われるだけ。
そういった常識の国はたくさんある。
日本から見たら、腹黒いのだけれど、彼らにしてみれば、それが普通。
国益なのだから、何でもあり。
日本みたいに優しい国は、「騙しても騙しても、まだ騙せる日本人」なんて、某国に言われてしまう。
もっと相手の常識を勉強しなきゃダメだろう。
by tin_box | 2009-05-30 22:28 | 雑記 | Comments(5)
Commented by A_J_Pacile at 2009-05-31 00:17
はじめまして
いつも楽しく拝見しています

レッサーパンダの帽子の通り魔事件を覚えているでしょうか
責任能力の有無が争点となり、責任能力はあるとされ判決は無期懲役です

僕はレッサパンダ男はは発達障害者であると認識しています
彼は職場では散々な苛めにあい、前歯全部折られているとも聞いていまし、父親からも虐待を受けていたとも・・
母親は早くに病死し、父親は後に知的障害と判明、彼の妹は一家を支えるため高校進学を断念し働いていたそうです
しかしその一家は障害者手帳も無ければ障害年金も需給してない、医療免除対象にすらなっていなかったそうです

犯した犯罪の罪は償わなければならないと思います
しかし我々の社会はこの家族に手を差し伸べていたのでしょうか
Commented by tin_box at 2009-05-31 20:51
A_J_Pacileさん、難しい問題ですね。
こんなはなしもあったり。
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50810462.html#more
Commented by A_J_Pacile at 2009-05-31 22:27
子供の将来を悲観して殺めてしまう事件は後を絶ちません
考えられない
酷い
信じられない
このようなコメントは、問題を直視出来ていないとも思えます
誰にでもありうる話しだと思います
ただ仕方が無いとは到底思えません
Commented by tin_box at 2009-05-31 22:41
A_J_Pacileさん、人生においては、すべてを受け止めることが大事だとは、思いますが、あまりに厳しい状況というのは。
私にはわかりません。
Commented by sakura-blend at 2009-06-04 23:13
どこかに正解があるなら、それに従いたい気はするのですが…
それを決められない以上は、ひとりひとりの覚悟が必要なのですね。
怖れて、直視しないことによって問題はますます深まり、我々に決断を迫ることが立ち現れるように思います。それは社会においても個人においても。
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