映画:「沈黙 -サイレンス-」

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日本がなぜキリシタン弾圧を行ったのかは、スペインやポルトガルによる植民地化を防ぐためだった。
※オランダはその気を見せずに商売のみに徹したので許された
布教に来た司祭(この作品ではそう呼ばれていた)は、母国のそんな裏の企みは知らなかっただろう。
純粋に信仰心によるものだったと思う。
そうでなければ、早々に逃げ帰っていったはずだ。

この作品では、信仰とはなんなのか、激痛というほどの問いかけがある。
奇跡を起こせば(見れば)よいというものではない。
それによって、何か物質的利益を得てはいけない。
他人に見せるものでもない。
自分に嘘があってはいけない。
誰かに嘘をついてもいけない。
他人を助けなければいけない。
・・・

例えば
飢えに苦しむ10人がいるとする。
自分もお腹を空かしている。
ここにおにぎりが1つだけある。
さて、これをどうしようか。
自分がこっそり食べてしまおうか。
彼らの目の前に差し出そうか。
親しい数人だけに分けようか。
それとも誰にもあげずに捨ててしまおうか。

どうにもできない、わかるわけない。

仏教との違いも少しだけ語られる。

布教は身勝手な押し付けではないのか?
自己満足に過ぎないのか。

あらゆる問いが発せられた。
議論はいらない。
自分で考えるのだ。
押し付ける必要はないと思う。

by tin_box | 2017-01-21 22:59 | ブリキ的生活 | Comments(0)
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