母の死。

16日の昼、母が74歳で亡くなりました。

介護5の寝たきり(食事はベットに腰掛て自分で(手が震えつつも)食べれました)でしたが、ボケもせず、私との会話も普通で、憎まれ口も達者な人でした。
母は介護ヘルパーさん、訪問看護士さんたちのお世話になり、私も毎食事を用意し、部屋の清掃や洗濯を日々こなしていました。

母はヘルパーさんたちとの会話を楽しみにしていたようで、土日に私しか居ないと、若干つまらないような様子でした。
そんな風に、つい先日、亡くなる直前まで、割と元気に過ごしていました。

それが、ここ数日になって、時々咳をしてました。
しかし熱も無いようでしたので、市販の咳止めなどをいくつか試し、次回の診察日まで様子を見ようと思っていました。
それが、亡くなる2日ほど前になって咳が頻繁になり、切なそうな様子でしたので、週明けにも診察の手配をしようと思い、母にもそのことを話していた矢先でした。

・・・

16日、静岡県にも梅雨明け宣言が出された、初夏の晴れた気持ちのいい朝でした。

私が朝起き、窓を開けて空気を入れ替え、母の元へ行くと、夜に少し嘔吐したのか、枕元が汚れていました。
それだけでも驚いたでのすが、目はうつろ、そして呼吸は、少しごろごろと、音を立てていました。
呼びかけには、反応が薄い状態でしたが、水を飲ませると、いつもと同じように飲んでくれました。
その後私は、何をどうしていいのか、戸惑うばかりでしたが、とりあえず、顔を拭き、水をあげ、シャツを換えました。
しかしやっぱり、母の反応がおかしいので、訪問看護師さんに電話し、すぐに来てもらいました。
そして、すぐに救急車を呼び病院に急行しました。
病院に到着すると、救急ですぐに処置が行われました。

私はただ、呆然とことの成り行きを眺めつつ、まるで他人事のように、冷静に受け答えをしていました。

救急の医師によると、誤嚥し肺炎を起こしている。CT検査の結果、脳幹での脳梗塞がある。これは他の場所の脳梗塞と異なり、生きる基本となる場所の障害であり、通常の回復、リハビリ効果は望めない。
人工呼吸器、植物状態になる恐れが大きい。
どうするか(何もしないか、延命処理をするか)決めてくれと。

その場には私一人。

TVドラマでは観た様な気がするが。

事態がまだ飲み込めてなかった。

「おまかせします」としか、言えなかった。


家族、親族に連絡してくれと言われ、電話。

しばらくして、おじ、おばが駆けつけてくれ、危篤状態の母を見守ってくれました。

モニタにの呼吸、心拍数、血中酸素濃度などの数値がだんだんと弱々しく低下していく様をただ見ていました。

昼前になると、母の呼吸がいよいよ弱くなり、血中酸素濃度は計測できない値となり、看護師さんももはやなにも施すことがなくなりました。

そして、モニタのグラフが横一直線になり、母の顔色もピンクから黄みがかった白に近くなりました。
手やおでこを触っても、もはや体温は感じなくなっていきました。

昼過ぎに担当医師が来て、死亡確認となりました。

・・・

後は、手続きやなにやら。
葬儀社の手配は親類が手配してくれ、午後になってそのまま葬儀や何やかやの打ち合わせに。
終わったのは夕方。
朝から夕方まで、一気に来てしまいました。
朝から何も口にしていませんでした。

自宅に帰ってみると、呆然としてしまい、何をしていいのか。
それでも、ぼーっとしているわけにもいかず、町内会、勤務先への連絡などをこなし。

夕方、食欲などまったくないが、朝用に用意してあった母と私の食事を機械的に口にし、きっとそれだけでは足らないだろうと義務的にカップ焼きそばを流し込み。

夜になって、町内会で組会議を開いてくれ、通夜や葬儀の役割を決定していただきました。
その場の挨拶で、思わぬ涙を見せてしまいました。
地元の結びつきはありがたいものです。

魂の抜けたような気分で時々放心しつつ家事をして、その日は寝ました。


17日、いつもなら無理してでも時間通り起き、分刻みのスケジュールをこなしてましたが、今朝は、時刻こそ、いつもと同じでしたが、ただぼんやり、いったい何をすればいいのか状態でした。

思いつきであれをやったりこれをやったり。散漫。
今日はゴミ回収の日だと思い出し、まだ回収車が来てない様なので、ごみを少しまとめて出したり。

思い出して、写真を出さなければと、押入れをかき回し、生前、「死んだときはこの写真を」といっていたように記憶していたものを探し出しました。

その後葬儀屋が来て、祭壇を整えてくれました。

午後になってメイせんせの缶詰、私の食料などを買いに外へ。
とはいっても、一人では食事の用意する気もせず、何を買おうかさっぱり思いつかず、なんだかよくわからない買い物をし帰ってきました。

家の中がすごい静か。

18日通夜
午前中、今日は葬祭社の施設へ泊まりになるので、いろいろ考えながら準備。
午後、母の白装束、化粧などを整える儀式。

夕刻、通夜。
親族、私の会社、友人には連絡してあったが、それ以外に思わぬ人が来てくれたり。懐かしい顔があったり。

終了後夕方、介護ヘルパーさんが駆けつけてくれました。
連絡を怠っていたのに、どうしてわかったのか。本当にうれしかった。でも母が一番うれしかったと思う。
ヘルパーさんも忙しい中、駆けつけてくれたこと、それに職業柄、こういったことは多いと思うけど、その情けがありがたいと思う。

夕食に出かけて帰ってくると、古い友人が待っていてくれた。
宿泊部屋でしばし話す。
宿舎では、さっぱり寝付けず。

19日
早朝に自宅に一旦戻り、メイせんせのご飯など。

10時頃、葬祭殿にもどり、打ち合わせやらなにやら。
昼前、葬儀。最後のお別れ。
もう、生涯、これほど涙することもなかろう。
午後一出棺。
お骨とともに帰宅。

おばたちを送って再度帰宅。
お花を、花器を探してなんとか祭壇に設置。
疲れているのか、そうでなく胸が痛いのか、胃が痛いのか、よくわからず。
ただ、定時の食事はしなければと、機械的な食事をこなす。

20日
たくさん、やらなければならないことがある。
とりあえず病院へ行き、清算手続き。
主治医の先生に挨拶しようと思ったが、不在で、また明日。
その後、銀行やらなにやら。

夕方、訪問看護士さんらが来てくれた。
母は、私には言わなかったこと、看護士さんには話していたりしてた。

会社でやらなければならないことがたまっていた。緊急の案件を部長にお願いする。
夜、ちょこっと会社に行って、一部の仕事を引き継ぎ、連絡など。

以上が、今日までの経過です。

一生分の涙と、次々と耳に入ることを冷静に処理していかねばならないこと。
通夜に来てくれた元上司のネクタイが妙に短かったことを後輩に話して笑っている自分と、本当にこの先、どうしようかと落胆している自分。
TV観て、タレントをバカだなーと笑いつつ、お世話になった人に電話すると、涙に詰まってしまい、話せなくなってしまうこと。
この先、だんだんと、戻っていくとは思う。


お互いに元気で居るときは、憎まれ口も叩き合う。
それが普通。
後で、悔やんではみるが、それは仕方がないことで、人間だから、そんなに聖人君主みたくはいかない。
すべてそのままで、ごめんねでいいじゃない。


私の母は、勝気で弱音をはかない人だった。
人に頼ることを嫌っていた。

私は、何も言わずに母と暮らしていた。
74歳になっても、「高齢者」と言われることに抵抗があった。
「いい加減あきらめな」と私は言った。


私的には、母の世話でどっこも出かけられないとか、外食もできないとか、不満はあった。言わなかったけど。
でも、忙しく日々を暮らしていくことでの生活の充実はあった。
不満もあったが、そうでもない気持ちもあった。

まったく不満のない生活なんてこの世にあるのだろうか。

幸せというのは、絶対的なボリュームではなく、相対的なものでしかないだろう。

自分の生活を楽しめない人には、幸せはこない。

母は最期に何を思っただろう。
最後の日、何も会話できなかったことだけが心残りではあった。

私の心の迷いは、ヘルパーさん、訪問介護士さんたちの話で少し救われた気がした。

※コメントしてくださる方へ
 堅苦しいことは省略していただいて結構です
 思ったことだけ書いていただければと思います
 
by tin_box | 2010-07-21 00:10 | ブリキ的生活 | Comments(6)
Commented at 2010-07-21 19:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2010-07-21 20:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tin_box at 2010-07-21 22:25
鍵コメ2010-07-21 19:38さん
ありがとうございます。
母はずいぶんと勝気な人でした。独立心が旺盛といいますか。
私は今、母に、それと母に関係していただいた人々にただ感謝の気持ちでいっぱいです。
Commented by tin_box at 2010-07-21 22:32
鍵コメ2010-07-21 20:36 さん
ありがとうございます。
父母のこと、元気な間はいろいろあるのが当然でしょう。
それをすべて受け止めているのが家族なんでしょうね。

今は、雑事をこなしつつ、時々は思い出に立ち止まってみたり。
とりあえずは、しばらくしたら、なんとかペースを取り戻したいと。
Commented by まりん at 2011-03-27 00:44 x
私は昨年の12月16日に母を突然亡くしました。
父は胃がんで入院中…
私は地方にお嫁に行ったので、離れて暮らしていました…
15日の夜に母は体調が悪くて、救急センターに。担当医師は『大丈夫ですよ。明日、主治医の先生に診てもらって下さいね。ゼンソクの治療は点滴でしました』と…夜遅くに母から帰宅したと電話があって『明日来れる?』と言われて『分からないな。天気次第。』『そう…分かった』と会話したのが最後になりました…
連絡取れなくなって…夕方に急いで向かうと母はベッドの上で冷たくなっていて私は半狂乱になりました。死因は検死の結果、心不全でした…母は74才。まだまだ一緒に生きていて欲しかったです。
Commented by tin_box at 2011-03-27 20:54
まりんさん、そうですか。
私の母と同じお歳です。
親が先に逝くのは仕方ないことですが、やはり最後に何かちゃんとして送ってあげたいという気持ちはありますよね。
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